「詩人の嘆き」は、中也が21歳のときに書いたとされる詩だ。この頃の中也は、音楽集団「スルヤ」と親交を深め、「朝の歌」がスルヤの音楽家によって歌われるなど、音楽の世界と深く関わっていた。一方でこの時期は、長谷川泰子と小林秀雄が破局を迎え、よりを戻せるかもしれないという淡い期待に中也が少し浮足立っていた頃でもある。結局その望みは叶わなかったのはご承知の通りだ。
この詩の核心は、冒頭と末尾にある。
「私の心よ怒るなよ、ほんとに燃えるは独りでだ」
そして、
「ほんにこれらの生活(なりわい)の日々を立派にしようと思うのに、丘でリズムが勝手に威張って、そんなことは放ってしまえという」
「これらのなりわい」とは、その直前に出てくる「神様からの言伝」を届ける者、すなわち詩人という職業のことだろう。
神から指名された天才として詩で立派に生きていきたいと思っているのに、どこか高いところから「詩人なんて食えない職業はやめてしまえ」という大合唱が聞こえてくる。昼時にビルからぞろぞろ出てくるような人間たちに、何故そんなことを言われなければならないのか。中也は怒り心頭だ。
しかし何度そんな声と戦ううちに、さすがの中也も気づいてしまった。怒れば怒るほど、燃えれば燃えるほど、結局それは独りの火だということに。だから詩の冒頭で、自分自身に言い聞かせるように呟く。
「私の心よ怒るなよ」と。
マダガスカルのくだりは、ダダで遊んでいただけのような気もする。この時期の中也はすでにダダイズムから卒業していたはずだが、あまりにも「詩人をやめちまえ」という声がうるさくて、ただ無意味に遊んでみたくなっただけかもしれない。それとも、この脱力した一連があることで、前後の怒りと嘆きがかえって際立つという計算があったのか。そこはまだ、ピナコテカとしても答えが出ていない。
「自分の天職はこれだ!」と決めたらテコでも動かなかった中也、もちろん太い実家からの多額の援助があったからこそというのはあるけれど、 職業を選択する時、自分の天職は何かではなくて「お金が儲かるのか?」しか考えない時代が長く続いた現代の日本に対して気づきを与えてくれる、
中原中也、ありがとう!!
<<詩人の嘆き>> 中原中也
私の心よ怒るなよ、
ほんとに燃えるは独りでだ、
するとあとから何もかも、
夕星(ゆうづつ)ばかりが見えてくる。
マダガスカルで出来たという、
このまあ紙は夏の空、
綺麗に笑ってそのあとで、
ちっともこちらを見ないもの。
ああ喜びや悲しみや、
みんな急いで逃げるもの。
いろいろ言いたいことがある、
神様からの言伝(ことづて)もあるのに。
ほんにこれらの生活(なりわい)の
日々を立派にしようと思うのに、
丘でリズムが勝手に威張って、
そんなことは放ってしまえという


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