はるかぜ -令和的ライナーノーツ

令和的ライナーノーツ

ああ、家が建つ家が建つ。
僕の家ではないけれど。
空は曇(くも)ってはなぐもり、
風のすこしく荒い日に。

ああ、家が建つ家が建つ。
僕の家ではないけれど。
部屋にいるのは憂鬱(ゆううつ)で、
出掛けるあてもみつからぬ。

ああ、家が建つ家が建つ。
僕の家ではないけれど。
鉋(かんな)の音は春風に、
散って名残(なごり)はとめませぬ。

風吹く今日の春の日に、
ああ、家が建つ家が建つ。

<<ピナコテカの令和的ライナーノーツ>>

令和に吹く、中也の「はるかぜ」

中原中也の『はるかぜ』を読んでいると、ふと、小さな木造家屋の建築現場のあの独特な匂いが鼻をかすめるような気がする。

「ああ、家が建つ家が建つ。僕の家ではないけれど」

この一節にこそ、中也という詩人の、どこか憎めない人柄が凝縮されている。普通、新築の家と聞いて思い浮かべるのは、新しい門出、ピカピカの新生活、あるいは希望に満ちた未来といった、キラキラした言葉たちだ。家主であれば、それはもうワクワクが止まらない瞬間だろう。だが中也は、あえて「僕の家ではない」他人の家の現場を、詩の主役に据えた。

かつて中也は、京都の街中でマンドリンを弾きながら行進していた「大空詩人」永井叔を面白がり、チンドン屋についていく子供のように、その後をぞろぞろと追いかけたという。そのエピソードを思い出すと、建築現場を眺める中也の姿もすんなりと腑に落ちる。「何やら楽しそうなことが起きているぞ」と首を突っ込む、あの鼻たらし小僧のような、純粋な好奇心がそこにあるのだ。

季節は「はなぐもり」。桜が咲き、厳しい寒さがようやく明けて、人々の気分も上向きになる頃だ。自分自身はといえば、部屋にいても憂鬱で、かといって出かける当てもない平凡な日常。そんな中、ふらりと散歩に出た先で、彼は新しい家が立ち上がっていく活気に出会う。

春風に乗って聞こえてくる、鉋(かんな)が木を削る「シャーッ」という小気味よい音。けれど、その音は強めの風に吹かれ、すぐさま空へと霧散していく。形には残らないけれど、その瞬間、確かにそこにある「幸せの予感」。寒い冬を抜けた喜びと、目の前のワクワク感が合わさって、暇を持て余した自分までなんだか少し、嬉しくなってしまう。「出かけるあてもない」と言ってるんだから自分の部屋から見た光景だろうという見方もできるが、あてもなく街をウロウロするのが中原中也なんだぜ!?  あてもなく出かけた先で春風を顔で感じてカンナの音を聞いたのだろうと思うんだ。

もちろん、詩人としての切ない「引け目」も、行間からはうっすらと漂ってくる。専門家には評価されても、家が建つほど詩が売れるわけではない。天才でありながら、生活の糧を稼ぐことには不器用だった彼が生涯抱え続けた、清々しくて情けないほどの自虐。

けれど、この詩の本当の「肝」は、そんな湿っぽい話ではないと思うのだ。 ぽっかぽかの陽気の中で、風が気持ちよく吹き抜け、目の前ではめでたく家が建っている。それだけで「サイコー!」と言えてしまうような、ごくありふれた日常の肯定。

「自分の家じゃないんだけどね」と照れくさそうに付け加えながらも、中也は確かに、あの春風の中で、他人の幸せをお裾分けしてもらってゴキゲンになっていたのだ。いや間違いない!

季節のうつろいや日常風景の中に喜びが潜んでいることを令和に生きる僕たちに教えてくれる

中原中也、ありがとう!!!

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